チャーリーぶろぐん~いろえろ話題わんさか!いまここにアセンションプリーズ!!~

スピリチュアル・音楽(ミスチルLOVE)・カラオケ(DAM☆とも)・歴史(日本)・テレビドラマ・アイドル(AKBとか)なんでも話題にします!

不安の対処法 

スピリチュアル

先日、どなたかから心配や不安についての質問がありました。

これって人生につきものですよね。

この世に、まったく心配や不安を持たない人はいません。

程度差はありますが、誰の中にも訪れます。

だって人は誰も、先のことが分からないのだから。


心配や不安は、僕の人生でも多くの部分を占めてきました。

いまだに顔をのぞかせることがあります。

以前との違いは、そこに浸らなくなったことでしょうか。

これは瞑想効果もありますが、もうひとつは、不安の中身が何であれ、それは単なる思考に過ぎないので、そのような思いが湧いてきたとき、

「そういう思考がいま湧いただけ」

という態度でスルーできるようになったことです。

これはけっこう効き目があります。

多くの人は、思考が湧いたという事実を見るのではなく、瞬時にその思考の中身に埋没してしまいます。

不安というものは、解決策が見当たらないから不安なわけで、その状態のままストーリーを巡っても、逆に不安やストレスが高まるばかりです。

これは練習次第で誰にでもできるようになります。

「あっ、いま、お馴染みの思考が湧いた。以上!!!」

そして目の前のことを生きだすのです。


今日から意識的にやってみませんか。

最初のうちはすぐにいつもの思考に埋没してしまうことでしょう。

そのような生き方があまりにも長いので、すぐには変えられません。

何事も練習です。

新しい習慣をつけるには、いままで無自覚だったところに意識を向けて、少しずつ変えていくしかないのですから。

実はこの気づきと共に生きることが、本当の修行なのです。

あとは起きることがただ起きていきます。

起きていることがいいことか悪いことかなんて分りません。

幸運は不運に、不運は幸運に転換していくのだから。

結局、僕たちにできることは目の前を生きること。

そして「yes!」と言うこと。

「yes!」という宣言は、生への全面肯定であり、最高の祈りです。

「南無」も同じ意味ですが、現代人にはちょっと重いので、「yes!」がいいかもしれませんね。

そこに不安が入り込む余地はなくなります。


lgi01a201312201700



スポンサーサイト

▲PageTop

「悟り」って悟っていないと思っている人の言葉 

スピリチュアル

>講演を聞くことは、悟りに関して有用と思われますか? 

>情報として悟りに纏わる色々を知識として入れても、なんら本質は変わらないと、長年の経験から思います。

>自分では、若干なりとも悟りに近づけたのは禅を実践しだしてからです。

>講演を聞いても、知識と悟りたいという欲望ばかりが大きくなるばかりで、かえって悟りから遠ざかると思います。


言いたいことはよく分かります。

確かに正しい情報を得たとしても、そのことが悟りに繋がるわけではありません。

だからと言ってそれらの情報が無意味ということでもありません。

あなたが目覚めた時、それまでに学んだ言葉たちが一斉に命を吹き返し、その境地がまぎれもない真実だということを証明してくれるでしょう。

そして気づきを豊かにしてくれます。


さてここからは、もう一歩踏み込んだ話をしましょう。

何度も言ってきたことですが、悟りというものは、悟っていないと思っている人の言葉であって、実際は全ての存在は最初から悟りの中にあります。

もの心ついてからの長年の習慣で、「分離した自己という錯覚」と同化してしまい、悟っていないという夢を見ているだけです。

このことが理解できる人に先ほどの説明をするとしたら、説明自体が変わってきます。

講演を聞いたり、本を読んだり、特定の修業をしたり、経典を学んだりすることの全ては夢の中の出来事だということ。

何故言い切れるかといえば、それらをやっている自己そのものが夢だからです。

そして悟り(自己という錯覚からの目覚め)は、何かをした結果起きることではありません。

ふいに訪れる、突然変異のようなものです。

もし確実に目覚めに誘われる方法が存在していたら、人類はもっと早く目覚めていたことでしょう。

でもそういうことは起きません。

繰り返しますが、その方法を実践している人自体が夢だからです。

夢の中のあなたが、夢から覚めるためにあらゆることをしても、夢が強化されるだけだというのは分かりますか。

夢から覚めるのは、夢の登場人物ではなく、夢を見ているその人です。

では誰が夢を見ているのか。

あえて言うなら、全体が自己という夢を見ています。

したがって夢から覚める(悟る)のは、あなたではなく全体です。



▲PageTop

大いなる命 

スピリチュアル

我々を生かしている大いなる命。

誰もの中にたたずんでいる全体意識。


このような記事については、異論や反論をもらってもどうしようもありません。

ただの事実の表明だからです。

傲慢な言い方ですが、反論の多くは、むしろ読み手の洞察不足によることが多く、そのことについて、僕にはどうすることもできません。

一方で娑婆の話、二元の世界については、様々な異論反論があってしかるべきです。

なぜなら二元の世界は、意見の世界だから。

個別にそれぞれが、独自の考え方を持つのが二元の世界と言ってもいいでしょう。

実は二元の世界とは人の数だけあるのです。

一つの世界の中で意見が分かれるのではなく、それぞれが作り出している世界が違います。

いいですか、ここは大切なポイントです。

それぞれに世界観が違うのではなく、世界自体が違うのです。

人はこのことが分かっていないので、自分と異なる意見を持つ人が理解できません。


たとえば夫婦は同じ家に暮らしていても、違う世界に住んでいます。

ですから距離が縮まれば縮まるほど衝突が起きますし、最終的に相手を理解することは不可能です。

人間関係の衝突とは、意見の衝突ではなく、世界と世界の衝突なのです。

したがって二元の世界が継続的に平和になることはありえません。

世界が統一されるとは、意見が統一されることではなく、世界自体が一つの世界(一元世界)になることなのです。

すると人はまた考えます。

一人一人が非二元を達成するのは、どれくらいの時間がかかるだろうと。

これは二元から一元を想像しているから起こる思考です。

実際にはあなたという自己が消えた時、すでに世界は一つになっていて、あらゆる問題は消滅し、愛しか存在しなくなります。

その愛が、いまだに分離の夢の中で苦しむ人に手を差し伸べることがあります。

しかしそれは意志によって起きることではなく、ただ起きることが起きるだけの話。

助けようとするかもしれませんし、助けないかもしれません。

宇宙の面白いところは、たった一つものが表現されているのに、二つとして同じ表現がないということです。

中には一見せっかちなブッダもいますし、オシャレに余念がないブッダもいれば、食道楽の人、セックスが大好きな人、山の庵が好きな人、冗談ばかり言っている人、愛想のない人、いろいろです。

二元の世界(個が作り出す世界)の住人は、本来あるべき姿があると信じているので、いままでも多くのブッダが、その時代の価値観によって断罪されてきました。

キリストも同様です。

とてもじゃないけど神に見えなかったから殺されたのです。

聖書の中では美化されていますが、もし彼が神にしか見えなければ、殺せるものではありません。

彼を殺したのは、分別を持った善良な市民たちだったのだから。



▲PageTop

誰もがお金持ちになるありがたい話 

スピリチュアル

今日の話はちょっと難しい言葉が出てきますが、内容は簡単なので読んでみてください。


存在のカラクリは分かってきたでしょ?

実感が伴うか否かは別として、手探りで真理を探す段階は終わり、理解すべき方向は定まりました。


真理は大昔から伝えられてはきたけれど、いまの言葉に直してみれば簡単な話。

たとえばヒンズー教の奥義書、ウパニシャッドに書かれた究極真理と呼ばれる一言があります。






真理の道を求める息子が、聖仙と崇められていた父に尋ねました。


息子 「すべてを作りだしている一なる原理、神とは何ですか?」


父  「汝、それなり」


万物を形成している最小単位である量子、この存在を古代インド人はすでに知っていました。

科学が外側を探究して発見した真実を、昔の人は内側を探究して見抜いていたのです。


宇宙物理学者たちは、量子=意識であると言います。

宇宙意識です。

したがってウパニシャッドの言葉を現代風に言えば


息子 「宇宙意識(神)とは何ですか?」


父  「お前そのものだよ」




ガチョ~ン!!



▲PageTop

決して起きないこと 

スピリチュアル

人生では何が起きても不思議ではないけれど、決して起きないことがいくつかあります。

ひとつは死ぬということ。

見かけ上の身体やマインドシステムは終わりますが、「あなた」はいまここに在り続けています。

身体とマインドが自分だと思って生きていたとしても、それらが落ちていく時、自分はそれ以上の何かだと知ります。

その存在は純粋意識(全体意識)であり、永遠であり、本当のあなたです。

身体が生きている間に、身体とマインドを超えた純粋意識にたどり着こうとするのが、宗教の目的です。

人生の途上でこのような真実を理解できる段階になったとき、人は自らがその純粋意識にシフトするために、あれこれ試みるかもしれません。


伝統的な修行法もそのひとつです。

しかしここにも決して起きないことがあります。

それは、「個人である私」が「全体である私」に変化することです。

人は、自分が全体に変化すると考えますが、自分が変化するのではなく、自分が消えるのです。

消えた時、そこに全体があります。

自分が消えても、あなたは何も失われません。

それどころか、もっとクリアに全体としてのあなたを感じることでしょう。

多くの人は、自分の中に意識の上限ラインみたいなのがあって、そのラインを超えた時、新しい次元に入るかのように想像していますが、そうではありません。

そもそも次元を超えていくような主体としての自分がいないのです。


最後に結論めいたことを書くと

いまもあなたは純粋意識(全体意識)そのものです。

以上!!

同じことを違う言い方で繰り返されると、ある日ハッと気がつくかもね。







▲PageTop

Menu

プロフィール

チャーリーぶろぐん

Author:チャーリーぶろぐん
チャーリーぶろぐんへようこそ!
いろいろな話題を提供していき
ます。来るべきアセンションに
向けてその一助になれればと
思いブログをたちあげました。
ごゆっくりどうぞ!

四柱推命で鑑定します!

最新記事

My Book!

新しい出会いなら!

PCMAX

ドメイン取得なら!

クリエーター募集!

結婚をお考えなら!

性格分析
リンク先:AIPC分析

Mr.Childrenコーナー

ももくろコーナー

AKBコーナー

おすすめの本

かわいいポーチはいかがですか?

ブログはじめませんか?

保険料がお安く!!

ファイナンシャルプランナー無料相談

きれいな肌を保つ

雑誌をお探しなら

楽器をお探しなら

楽天コーナー

ニキビを防ぎます!

お肌がピンチな方へ

美しくなりたい!

TSUTAYAコーナー

宅配レンタル

FC2ランキング

ポチっとお願いします!

アクセスカウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

Twitter

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム